「非難と批判」の話ー有名な人への非難と批判についてー

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こんにちは✴️
七海です🏝

有名な人への非難と批判について

定期的に出る芸能人さんや有名人さんの批判や非難。

本当に社会的に問題のある行動に対しての批判に加えて、
離婚だったり不倫だったり事件や事故だったり、様々な場所での発言についてだったり、
いわゆる炎上というのが頻繁に起きています。

有名人の話って、ほとんどの人には直接的には関係のない話です。

関係ないのに怒りを感じる優しい人がたくさんいるとも言えますが、
ここで一つ、注意しておきたいことをご紹介します。

本当にその人はそう思っているのか

ニュースで見た内容などに対して、

「悲しんでいる人がいるに違いない!」
「誰かに嫌な思いをさせるなんてひどい!」

と思う人は案外多くいます。

例えば、芸能人の不倫のニュースを見て、

「奥さんがかわいそう!」とか、「奥さんがいるのにひどい!」とか
そういうケースですね。

これ、本当にそうでしょうか。

実際にその奥さんがどう思っているかはわかりません。

もしかしたら、夫が楽しいんだったらいいよと思っているかもしれないし、
そんなことに特別興味がないかもしれません。
これで相手有責で離婚できると内心喜んでいるかもしれません。

とてつもなく悲しく嫌な思いをしている可能性と同じくらい、
別のことを考えている可能性があるのです。

立場などによる対外的なポーズは別にして、
実際にどう思っているのかは、
ニュースを見ているだけの人にはもちろん、本人以外にはわからないのです。

本当のところはどうかわからないのに、
相手の気持ちを勝手に想像して怒りを感じるのは、「自分にとって」いい状態とはいえません。

批判・非難したくなる理由としては
自分が同じ目にあったら嫌だと感じるから
が最も大きいでしょう。

同時に、他の人が批判しているから一緒にやっとこう、くらいの人もいるかもしれません。

その感情が悪いものではありませんし、批判も全部が悪いものではありません。

ただその気持ちの奥深くにあるものは、必ずしも自分の人生にとっていいものではないかもしれないのです。

非難や批判の内容は、自分に対する制限

誰かに対して批判や非難することは、「あなたは間違っていると強く表現すること」です。
これは自分以外の人の考え方や行動に対する否定でもありますが、自分の行動に対する否定や制限にもなるのです。

批判や非難自体が悪いことではありませんが、これらは自分に対しての
間違ってはいけない、間違ったら責められるという思考を強化して行く可能性があります。

さらに、相手が有名人だった場合「有名人だから何を言われてもしょうがない」等思っている場合もあるでしょう。

もしそう考えている奥底には、自分が有名人になったら同じ目にあうかもしれない、そんな感覚が生まれているかもしれません。
無意識下でこう考えている場合、どんなに望んでも有名人になることはできません。
有名人になるとちょっとしたことで批判と非難の的になってしまうので。

「有名人だから批判されても仕方がない」と思っているだけなのに、実は自分が広く活躍する道を自分で閉ざしてしまっている可能性があるのです。

身近な人への批判や非難はもちろんのこと、全く関係のない有名人に対する批判や非難も、一見すると外側に対するものですが、
実際は自分に対しての批判や非難、制限を生み出しているのです

同様に、
「偉い人は悪いことばかりしている」だったり、
「金持ちは悪いことをしている」だったり、
こういったことを批判していると、
当然偉い人にはなれませんし、お金持ちにもなれません。

偉い人になったり、お金持ちになったりしたら、
今度は自分が批判されることになりますからね。

「男(女)なんて」などと思っている場合は素晴らしい異性を遠ざけ、
「美しい人なんて」などと思っている場合、自分の美に気づくチャンスを自ら消してしまうのです。

有名人や知らない誰かに対して「醜いくせに」と言っている場合、

「美しくしていないと批判される」
「自分は美しくないから、表舞台に出てはいけない」

知らない誰かに対して「年のくせに」と言っている場合、

「年をとったら、何をしても批判される」
「若くないと価値がない」

このように、すべての批判や非難、否定は自分に対しての否定や制限として返ってきてしまうのです。

実際に相手がどんなに悪いことをしていても、自分の内側には制限が生まれてしまっている可能性があるのです。

わざわざ自分を弱くしてしまう可能性

相手を非難したい・しているとき、相手との立場の違いを明確にしてしまうことが多くあります。

特に有名人のニュース、偉い人やお金持ちたちのニュースに対する感覚は、自分たちより強い立場の人が悪いことを行なっている、そんな価値観で見ている可能性があります。

つまり、お金持ちや地位・名誉を持つ立場になったら非難されてしまうと無意識に思っているし、
自分は弱い立場だから相手を非難していいと無意識に思ってしまっている可能性があるのです。

全員が確実にそう思っているわけではありませんが、そう思っている人も少なくはありません。
そして自分も無意識にそう思っていて、自分の進路を妨害しているかもしれないのです。

批判できる立場=弱い立場という意識は、自分は弱い立場であると、自ら決めてしまっている状態です。
無意識的には「望んで弱い立場を選び続けている」ことになってしまうのです。

さらに問題なのは、自分は弱い立場だ、守られてしかるべき、そんな感覚の裏には、
強い人が決めたことには逆らえない、仕方ないという無意識が隠れていることです。

相手が強い立場で、自分は弱い立場だから相手を批判・非難していいと表面的には思っていても、
その奥には「自分には批判や非難程度のことしかできない」という感覚があるのです。

自分は弱い立場だ、立場の強い人には逆らえないという感覚は、自分自身の人生の舵取りを他の人に任せてしまうことになり、辛いスパイラルだったり、成功できない現実を生み出していくことにもつながります。
そして、それを自分ではどうすることもできないという世界を、自分自身で作ってしまっているのです。

偉い人たちに対する批判や非難は、単純に自分を弱い立場に置く場合だけではなく、思想や信念を持って社会を変えていきたいというような思いからのものもあります。
自分は今どんな気持ちで批判の感情を持っているのでしょうか。

ただ単に、ニュースを見て思っていることであっても、もしかしたら自分の人生に枷をつけているかもしれません。

人の不幸は蜜の味らしい

人間の脳は、ネガティブに反応しやすい性質を持っています。

先の見えない洞窟の奥に「宝があるかもしれない」と思う人と「危険な生物などがいるかもしれない」と思う人、どちらの生存確率が高いかといえば当然後者なので、生存本能として、ネガティブに寄っていた方が安全というのがあります。

なので、ネガティブな情報は拡散・感染しやすいという特徴はあるのですが、
それとはまた別に、権力者がやり込められる、自分より成功した人が失墜するなど、
生命維持とは違った観点のネガティブさに対しても人間はスカッとする気持ちを感じることができるそうです。

これは、自分の抱えるストレスをもっと強いストレスを受けている人を見ることで緩和するという特性のようです。

「自分よりもっと強いストレスを受けている人」が身近な人だった場合、単純にスカッとすることは難しいかもしれませんが、自分に関係ない人やいい思いをしているっぽい人の場合、単純にスカッとだけを味わうことができるため有名人のゴシップはなくならないのです。

これを楽しいと思っている場合、「誰かが悪いことをしたから非難している」ではなく、「非難されている人を見るのが面白いから非難する」となっています。
これはちょっとスカッとするというメリットはあるものの、ほとんどはデメリットばかりのことなので、できるだけ避けた方が望ましい行動です。

先にも書きましたが、このなんとなく受け取っているちょっとしたお楽しみは、

「自分が有名人になったら」「自分が成功者になったら」「お金持ちになったら」「楽してしまったら」「他の人と違ってしまったら」非難の的にされてしまう、

という意識を刷り込んでいく結果にもなります。

ゴシップがとても大きな楽しみであるならそれを否定はしませんが、それらを楽しいと感じている理由は、
日常的にストレスを感じているから、
それ以外に楽しいと感じていないから、
そんな理由が考えられるので、もっとポジティブに好きだと感じられるものを探すのがいいかもしれません。

人生レベルで考えてゴシップはどれくらい必要なものなのか、考えてみることをオススメします。

もっと自由にハッピーに暮らすために

必要な批判とやめた方がいい批判

批判や非難にはいくつかの種類があり、なきゃいけないものとない方がいいものがあります。
今の自分の気持ちがどっちのものなのか、きちんと線引きをすることで、より人生は豊かになって行くはずです。

有名人を批判することで、その一瞬スカッとするかもしれませんが、
その批判はブーメランとなり、自分に対しての禁止と制限となって戻ってきます。

また、あまり一般的ではないことをしている人に対する否定、例えばものすごい歳の差婚とか誰かのファッションとかに対する否定は、概ね自分への制限にしかなりません。

せっかく能力があって、才能があって、チャンスもあるのに、
うまくいったら批判されるかもしれない、人と違ったら非難されるかもしれない・・・・って躊躇するのは非常にもったいないことです。

ちょっとスカッとしたいだけでゴシップを見ている場合は、ちょっとした息抜きとして楽しむくらいのところにしておいた方がいいでしょう。

しかしこれは、何かを批判するな、非難するなという話ではありません。

強い信念があり、自分の意志や考えがあって、それを表明することは非常に重要です。

例えば社会に対しての批判、政治に対しての批判は、ある種国民に与えられた権利であり義務でもあります。
多くの人がもっと社会を良くしたいという意識を持ち、どうしたらもっと社会が良くなるのかを考えて意見を交換し合うのはとても重要です。

会社や仕事、人間関係などでも、状況をより良くするために現状を批判することは、より良い未来に向かうために時には必要なことです。

ストレス発散のために何かを批判するのはやめた方がいい、
現状をより良く変えるために、現状の悪い部分を洗い出す批判は必要、
そんな感じでしょうか。

また身近なことで改善を提案できる場合は、批判や非難だけをするよりも改善方法や解決策を重点的に表に出すのもいいかもしれません。

湧いた感情は「教訓」に変換する

現代社会は、聞こうと思っていなくてもニュースは耳に入ってきますし、その中には相手を批判・非難したくなるようなものもあるでしょう。

自分には関係のない話でも、考え方によっては自分の人生に役立てることは可能です。
学びや教訓として受け取ることで、無意識下の制限ではない、より良い人生のための制限にすることができるのです。

例えば芸能人の浮気のニュースに批判の気持ちが湧いたら、批判と共に
「軽い気持ちで浮気したら、一瞬にして地位も名誉も失うっぽいから自分はしないようにしよう」
という学びにするとか、
政治家の汚職のニュースに憤りを感じたら、批判と共に
「自分は権力を持っても自分の欲に溺れないように自分を律していこう」
と心に決めるとか、
信頼とか信用とかは思っているより一瞬にして崩れるので、自分はちゃんと注意しておこうとか、
何かが起こってしまった時の謝り方はすごく大切だと肝に銘じたり、

同じ立場になっても同じことは起こさないように教訓としよう考えるだけで、無意識による自分の制限は、多少制御することができるはずです。

とはいえ、誰かに対する批判や非難は、さまざまな形で自分への制限となっているので、
信念や意志を示したい場合以外は、「嫌だな」と思うところに止めておいた方がいいでしょう。

「自分のために」考え方を工夫する

誰かに対する批判や非難、否定は、概ね自分への制限となって返ってきます。
別の側面として、「自分が制限していることをやっている人」に対して、怒りを感じているかもしれません。

極端な話ですが、
自分だって異性ともっと好きに遊びたいと思っているけれど、それをしてはいけないと思っているから不倫する人に腹が立つのかもしれません。
自分ももっと楽してたくさんのお金を使いたいのに、そんな上手い話はないと思っているから、それをしている人に腹が立つのかもしれません。

そういう視点で考えてみると、自分は思っているよりたくさん我慢して、たくさんの制限の中生きているのかもしれません。

単純にじゃ不倫すればいいじゃん、汚職すればいいじゃんって話ではありませんし、多分多くの人はそんなことがしたいわけではないはずです。

誰かを批判したくなった時、自分の心の奥底では何を制限してしまっているのか、しっかり確認してみてください。

有名人になれるチャンスを得た時、大金持ちになれるチャンスを得た時、そのチャンスをしっかり掴めるように、今の自分には必要のない制限は手放していきましょう。

 

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