デート奢り奢られ論争について

ハッピーのコツ
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皆様ごきげんよう✨
七海です。

定期的に話題に上がるデートの奢り論争。

男性が奢るのが当たり前? 割り勘が当たり前?
お金持っている方が奢るのが当たり前?

長年続くこの論争について考えてみました。

便宜上、「男性」「女性」としていますが、性別関係なく「誘う側」と「誘われる側」みたいに捉えていただけると幸いです。

デートの支払い誰がする?

いきなり結論

そもそも

お金払って一緒に食事したいと思えない相手とは食事にいかない

ことをお勧めしています。

男性が女性を誘う時、当然自分が全額払うつもりで誘う、
女性が男性を誘う時も、当然自分が全額払うつもりで誘う。

男性が女性に誘われた場合、奢らされたら嫌だと思う相手ならいかない。
女性が男性に誘われた場合も、自分の分を払うことすら嫌だと思う相手ならいかない。

実際に誘った方が全額払うのが当然ということではありません。
気持ちとして、全額負担しても一緒にいたい人を見つけた方がいいし、
少なくとも自分の分の費用は払おうと思う程度の相手でなければ、デートをしてもあんまりいい未来にはつながらないってお話です。

支払いに関しては、
奢られて当たり前、自分の分は自分で払うのが当たり前、割り勘が当たり前、奢られるのは嫌いだなどなど、
案外いろいろな考え方があるので、
絶対的な正解はないのですが、基本的に

食事代を払うのすら嫌な相手とはそもそもうまくいかないので、わざわざ時間を使う必要はないのです。

そもそもなぜこの論争は続くのか

そもそもデートって好きな相手、または意中の相手つまりは自分のことを好きになってほしい相手と行くことが基本かと思います。
楽しく遊んだり美味しい食事をしながら会話を楽しんで仲を深めていく。素敵な時間です。
会えただけで嬉しいとか、一緒にいられて嬉しいとか、お金にも時間にも変え難い幸福ですね。

それだけではなく、相手の意外な一面に驚いたり、取り返しがつかないくらい冷めてしまったりもするかもしれませんが、それも相手のことをよく知り人間関係を構築するための大切な要素です。

基本は好きな相手とのやり取りなので、ちょっとでも自分をよく見せたいとか、相手によく思ってもらいたい、いい気分で過ごしてもらいたいなど、お互いが気遣い合い、自分たちの関係がより良くなるようにと考えるものでしょう。

なのですが、別に好きでもないただの「架空のデート相手」との想像の場合、話は変わります。

どこかの入場料や食事代以外にも、車を出した、迎えに行った、自分の家の方が遠かった、果ては準備に時間をかけた、この地位になるまでにお金も時間もかけているなどなど、「自分が頑張っていること」「自分の方がコストかけていること」にばかり意識が向いてしまいます。

この考えの大元は、「絶対に損をしたくない」かなと思います。
その先には「自分は搾取されている」「自分はいつも被害者だ」もありそうです。

誰かとの関係性において「絶対に損したくない」と思っている人がいる限り、この論争は続くはずです。残念ながら。
そして相手との関係性に対して「絶対に損したくない」と思っている人が誰かといい関係を築いていくのは非常に難しいでしょう。

架空の相手とのデートには絶対奢りたくない人でも、いざ好きになった相手のためならいくらでも奢りたいっていう人は結構いると思われます。
自分は絶対に損したくないけれど、想像のほとんどのケースでは自分は損ばかり、そんな前提で、悪い相手・悪い状況を想定している議論に意味はないのです。単なる想像だとそう言うことになるものなのです。

架空のデートなんて、とんでもない完璧な想像か、悪い想像のどちらかになるものです。現実にはそぐわないものでしょう。

相手が目の前に現れた時、その個人に対して思うことを優先すればいいだけなのです。
奢りたくない相手とはデートしない、奢りじゃなきゃ嫌な相手とはデートしない、

その時の自分の心に従うのがベストなのです。

そして、実際にデートに行った際に「奢らされた最低」「割り勘だった最低」と思う場合は、その相手とは気が合わなかっただけであり、自分の勘が鈍かっただけなので、それを見極めるためのコストだったと割り切って次に進めばいいだけなのです。

奢り・奢られ・実際どっちがお得?

女性の方が準備にお金がかかる?

この論争で最近強く言われるのが、
「女性は化粧や衣装など、デートの準備に男性よりもお金がかかるから、食事代くらい男性が出すべき」
みたい説です。

こう考えるのは自由で、「そうか、じゃあ当然男性が奢りますね」っていう相手を探せばいいだけです。
そして奢りたくない人はこう考える女性を誘わなければいいだけです。

なので思想自体は自由なのでそこはさておき、
本当に女性の方が準備にお金がかかるのでしょうか?

一般的な男性と一般的な女性を比べた場合、
日常的な身だしなみには、女性の方が多くのお金を必要とするケースが多いでしょう。

しかしこれはあくまで一般的な話であって、
特定の個人である「自分」と「相手」と考えた時はどうでしょう。

女性よりもずっと美容に気を遣う男性もいますし、女性でもほぼ費用を使わない人もいます。
男性でも女性でも衣服や装飾品など、デートのためにとてもお金をかける人もいるでしょうし、いつも通りの人もいるでしょう。

相手がデートの準備に多額の費用を投じる相手だった場合、
「相手の方が自分よりデートの準備にお金をかけてくれた」と認識するでしょうか。

「女性が奢られて当然」と考える人がそんなこと思うわけないでしょう。

だからどれだけ論議を尽くしても無駄なのです。お互いに思想は自由にすればいいのです。
奢りたくない相手とはデートしない、奢りじゃなきゃ嫌な相手とはデートしない、

他の人がどうしていても自分の心に従うのがベストなのです。

*ちなみにこの先も結論は全部これです。

奢ってもらうことのリスク

私の周りには、奢られて当然の人もいれば、逆に奢られるのは避ける等、様々な考えの女性がいます。
奢られて当然の人の中にも、あまりにも当たり前すぎて奢られないなんて頭の片隅にもない人もいるし、強硬に奢られることにこだわる人もいます。
同じ「当然奢られ派」の女性でも温度感にはかなり差があります。

一方で、奢られるのは避ける、奢られないようにしているという方も一定数いて、理由は「後で何かを要求されるのを避けるため」とのことで、これも一つ非常に重要な視点であると思います。

男性側からの意見として「奢ったんだから」とか「奢ったのに」みたいなものは一定数あって、
男性側からしたら「奢ること=その場の食事の代金を払うことではない」場合があるわけです。

奢られてしまった側も、「奢られてしまったから」と相手からの次の要求を強く断れないケースもあるのでしょう。
自分が納得しているのならいいのですが、納得していないのならのちの禍根につながる選択です。

私には価値があって奢られるのが当然!当然なんだからその先を要求するなんて下劣の極み!!と高らかに宣言できる方はいいのですが、そうではない場合、「奢ってもらうこと」にも多少のリスクを伴うのです。

いくら多少の好意を持っている相手だとしても、自分の意図以上のものを求められるのは避けたいところなので、「奢られない」程度でリスクを回避できるのならば、奢られないを選択したほうがいいかもしれません。

「奢ったんだから当然それ以上を」みたいな要求をしてくる人とは最初から関わらないことが吉ではあるのですが、流石に見ただけで分かるものではなく、デートに行ってみてようやく分かることではあるでしょう。
なんなら奢られなかったからといって不躾な要求をしてこないとも限りません。

デート自体、二人でしっかり話してみることで相手の人となりを知る時間ですので、多少のリスクがあることを理解した上で、さらには選択ミスもあることを踏まえた上で、その時はもちろん、長期にわたって楽しい時間を過ごせる相手を見つけるための大切なステップとして使いましょう。

奢ることのメリット

いつだったかX(Twitter)にて、「割り勘にしろって言う男が増えれば増えるほど、奢る俺がモテるようになる!もっとやれ!」みたいな投稿があって、そりゃそうだよなと思いました。

奢ってもらう時、お支払い自体が嬉しいっていうのもあるのですが、「楽しい時間に価値を感じてくれている」とか「大切にしてくれている」「気を遣ってくれている」などの部分を嬉しいと感じる人が多いのではないでしょうか。
嬉しいと感じる、つまり好感度アップです。

私個人としても、絶対に奢らないといけないとは思いませんが、奢ったほうが圧倒的に有利だとは思います。
しかもそれが「奢ることでモテる!よし!」と思っていたり、「あなたのためなら喜んで奢りたい」とポジティブな思考からならなお有利でしょう。

絶対に奢られたくない派やまだ警戒中の人もいるので、無理に奢るのだけがいいわけではありませんが、「自分が奢りたいから」のスタンスは、かなり汎用性の高い好感度のあげ方の一つでしょう。
もちろんそれが全てではありませんが、比較的簡単であり多くの人に有効といえるのです。

「奢りたくない」「割り勘じゃないと嫌だ」というのは、自分が相手に対して持っている条件ですので、「奢りでOK」の人に比べてクリアするべき条件が一つ増えてしまうだけなのです。
相手に超えてもらう条件が少なければ少ないほど、対象となる相手は増える、つまりはモテる可能性が上がるわけです。

とはいえ我慢して無理に、イヤイヤ奢るのって相手にはすぐばれますので、
絶対に奢りたくない人は、絶対に奢られたくない人、奢りじゃなくてもいい人を探せばいいだけです。

奢ることを肯定している人だからといって、いつでもぴったりに出会えるわけではなく、単に一つの要素が一致するだけなので、むしろ「絶対に奢りたくない人と絶対に奢られたくない人」みたいに全体からすると割合の少ないタイプを探す方が、自分にぴったりの人を見つけられるかもしれません。

ジャッジしてくる人は避けた方が良い

奢りがいいのか、割り勘がいいのか、なんならデートに行かないのがいいのか、
すべては自分の主義主張であり、自分の人生の選択です。

ですので基本は自由だし、みんなが好きなことを言って、気が合う人を探せばいいのです。

奢りじゃないと嫌! 奢りは絶対嫌だ! と主張している人は、自分の主張を掲げているだけなので、
そういう人が嫌なら、そういう人は避ける前提で相手を探せばいいだけなのです。
高らかに宣言してくれるだけ親切ですね。

ですが、大体の人は初対面で「自分は奢ってくれないとデートしたくない派です」とか「自分は絶対に奢らない派です」などとは言いませんし、むしろ隠しています。

隠すのは当たり前で、ひっそりと合う合わないを判断するのはみんなやっていることですが、わざわざ相手をジャッジする人に関しては、適宜距離を取ることをお勧めします。

よく聞かれる話としては、「デートでサイゼリヤ」みたいな話です。
デートにサイゼリヤを選ぶことの是非の話ではなく「世間的に是非が問われるようなものをわざと目の前に提示して、相手がどんな反応をするのか試すような人」はちょっと考えた方がいいって話です。

もっと広い範囲の内容だと、デートプランを相手に丸投げして、自分が気に入らないと不機嫌になる人なども同じタイプです。
たくさんいると言われていますね。
ただし、この場合は全員が全員「試してくる人と同じ」とは限らず、プランを立てる方が相手のことを全然覚えていないとか相手のことを一切気遣わない場合もあります。
問題なのは「自分が気にいるプランを持ってくるかどうかチェックしている」人です。

自分と相手の思想や好みが近いかどうかは、今後一緒にいる上でとても重要なポイントです。
気が合うところが多い方がいいし、話したり関わったりすることで共通点や妥協点を見つけて行くのも大切です。

なのですが、この「試す人たち」はそもそもが違います。
話し合うこともすり合わせることもせず、「ただ相手が自分に合わせてくれることを待っている」状態であることがほとんどです。

大体の流れは普通のデートと同じなんです。
話してみて、一緒に過ごしてみて、徐々に気があうところが多いとかここは合わないなとかわかりあっていく部分に関しては、みんなやっていることなんです。
時には自分の要望を汲み取ってもらえなくてイライラすることもあるでしょうし、自分が相手の意図を汲み取れないこともあるでしょう。そうなった時、会話をするのかもうないと判断するのかは個人の自由です。

ですが、「これやったらどうするか反応をみよう」を連発してくる人との関係は、相手が最初からコミュニケーションをとって仲を深めようという気持ちがほとんどないので、ずっと相手が望む「正解」を選び続けなくてはならないのです。

自分の意見を強くアピールする人は、一見鬱陶しいのですが、言いたいことが最初からはっきりとわかっているのでまだマシなのです。
自分の思想は隠しつつ相手を値踏みしようとする人は、確実に距離をとっておいた方がいいでしょう。

考え方は「お互いに」自由

上にも書きましたが、残念ながらこの論争に結論が出ることはないでしょう。

高校生同士のカップルと大人同士のカップルでも事情は異なるし、何年付き合っているとか、お互いの諸々の事情などによっても違いますので、一概にどれがいいなんてあるわけないのです。
広くモテたい人は奢った方がモテる確率は上がりそう、くらいでしょうか。

そしてこれも繰り返しになりますが、
一緒にいたら損するって感じる相手はそもそも一緒にいる相手じゃない、絶対損したくないと考えている人と友好な関係を築くのは難しいってことです。

この先きっともっとエクストリームな主張が出てくるのではないかと楽しみにしているくらい、この論争は落とし所がないし、なんなら論点もコロコロ変わっているのです。

特にSNSで盛り上がれるコンテンツの一つとなっているので、今後も定期的に燃料が投下されることでしょう。

自分のためにお金を使ってくれない人とは関わりたくないという主張はありでしょう。
自分のお金を相手に使いたくないという主張もありでしょう。
自分がどんな思想を持っていても、デート相手には主義主張が合う人を探せばいいだけなのです。

ちなみに、「絶対こうじゃなきゃダメ」の部分が合わない人は、その内容がなんであれ、一緒に人生を歩むのが非常に難しい相手です。

デート相手だけでなく、親しく関わる人はすべてそう。
探す過程で主張が違う人とも関わるでしょうが、そう言う人とは適宜距離を取るだけ。
単に主張が違う人と出会っただけでどちらが正しいわけでもないのです。

自分の主張に相手や世間を合わせさせようとすることが無理なことなのです。

私はデートで奢りじゃないと嫌! ならいいんです。
だから相手が奢るべき! は違います。

自分は絶対に奢りたくない! ならいいんです。
だからみんな割り勘にするべき! は違います。

自分がどう考えようが自由であるように、他の人がどう考えようと自由であり、
相手を制限しようとするのは無理、それだけです。

自主的に相手を尊重したいと思えるほど、好きな相手を見つけましょう。



 

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