2025年12月5日双子座満月:隠しきれない何かと目覚める何か
2025年最後の満月
2025年12月5日8時14分、双子座の満月です。
激動だった2025年も早残り1ヶ月。
ただしこれは、現代の人間が使う暦の区切りなだけです。
12月31日から1月1日に変わったところで、何かが急激に変わるわけではありません。
しかし、「何か」は確実に変化していっています。
見逃すことが簡単にできてしまう些細なことかもしれません。
1日では気づかないかもしれない小さな変化は、着実に大きな変化へとつながっているのです。

「わかっている」という誤解
双子座と向かい側にある射手座は、どちらもコミュニケーションを司る星座ですが、
二つの星座の表す「コミュニケーション」には大きな違いがあります。
双子座のコミュニケーションは、知っている人、近しい人との「わかっている」コミュニケーション、
射手座のコミュニケーションは、知らない人、遠い人との「わからないから」のコミュニケーション、
そんな感じです。
例えば、「お雑煮」とか「カレー」とか「肉じゃが」と言った時、
それぞれが案外違うものを想像しています。
育った家庭によって、自分や両親の出身地によって、
よく行くお店や食の好みによっても、案外違ってくるものです。
双子座的なコミュニケーションは、
「カレーと言ったらにんじんとじゃがいもと豚肉が入ったいつものカレー」というのを、
いちいち確認しなくても伝わる相手とのコミュニケーション、
射手座的コミュニケーションは、
「カレーといえば、欧風なのか和風なのかインド風なのか、お肉はやお野菜は何を入れるのか、確認し合う」みたいなコミュニケーション
と言えるでしょう。
この2種類のコミュニケーションにはそれぞれ重要な役割があり、
日常的なコミュニケーションでは、双子座的なコミュニケーションが取れる相手ほど近しい相手といえますが、
それでも考えていることが完全に一致することはありません。
よく知らない相手には説明することでも、近しい相手になればなるほど「わかるだろう」と説明を省いてしまうのはよくあることではあるのですが、それが思わぬ誤解を生んでしまいます。
そして、お互いに誤解があることに気づかず、問題が大きくなってから気づくなんてことが起こってしまうのです。
すべてを事細かに、しかも毎度説明することはコミュニケーションの妨げになりますが、
一方で「わかるだろう」と思って見過ごしてしまうことも、問題につながる可能性があるのです。
この人だからわかっているはず、そんな過信はありませんか?
自分と相手の関係だから、こうなはず、そう思い込んでいることはありませんか?
一度確認する必要があるのかもしれません。

隠していたものが隠しきれなくなる
2025年は多くの星々が動き、エネルギーの大きな変化を感じた人も多かったのではないでしょうか。
星々の動きは、人間を新たな世界観へと導いてくれるものなのですが、
その過程で、これまで見ないようにしていたこと、誰かが意図的に隠していたこと、または自分自身が隠していたことが表に出て来る気配がしています。
引っ越しをしようとする時、家の中にあるすべての荷物を確認することがあります。
特に、とっても遠くへ、例えば地球の裏側へ引っ越しをするとなったら、
荷物の選別もいつもとは違ったものになるのではないでしょうか。
クローゼットの奥にしまった箱の中には、見たくなくて仕舞い込んでいたものが入っているかもしれないし、もう使えないのに捨てられなかったものが入っているかもしれません。
最近のエネルギーの流れは、「全く違った場所に引っ越す」くらいの感じです。
引っ越しを機会に自分の持ち物のチェックをするように、
隠されていたもの、忘れていたものが目の前に現れてきそうです。
過去の自分がどうしてそれをしまったのか、誰がどんな理由でそれを隠したのか、
このタイミングでのポイントはそこではありません。
目の前に現れたものをどう扱うか。
これからも持ち続けるのか、それとも手放すのか。
持ち続けるとしたら、再度見えないようにしまうのかそれとも使う方法を考えるのか、
そんな点を意識してみてください。

「目覚め」について
人間という群れで暮らしていると、ある程度「これが当たり前」ということはあり、それに合わせていく必要はあります。
これは正しい・正しくないの話ではなくて、群れはそうして維持されている、という話です。
そしてこれは群れに所属しているほとんどの人が、何かしら我慢をし、妥協をしているということもであります。
ある程度の人がある程度の我慢をし妥協をする内容は、
誰かにとっては全く我慢も妥協も必要のない内容かもしれません。
逆に、ある人にとってはとてつもない我慢と妥協を強いるものかもしれません。
すべての要素がそうです。
そして、すべてに要素において一切の我慢も妥協もしなくていい人はほぼ存在せず、
逆に全て我慢と妥協でしかないという人もほぼ存在しないでしょう。
誰もが、何かを我慢し、何かは我慢しなくていい、そんな状態で群れに存在しています。
群れに所属するにあたって、全部が自分の思いのままというのは難しいかもしれません。
しかし逆に、全てが我慢と妥協でしかないという状況も異常であると言えるかもしれません。
今言われている目覚めとは、もし万が一全てが我慢と妥協だと思っている人がいるのならば、
別の場所へ自分自身を移動させることは可能であると気づくこと、です。
そして、移動するもしないも自分で選んでいることだと気づくことです。
移動した先では、今問題の部分が解決し、問題なかった部分に問題が発生するかもしれません。
その場合、結局はどこを我慢し妥協するかの選択をすることになるかもしれません。
しかし、「どうにもできない」「変えることができない」という思い込みからは目覚めるタイミングです。
この群れを選ぶのも、別の群を選ぶのも自分の選択です。
自分にはその選択ができるのだと気づくのです。
この先世界はさらに加速度的に変化していくことでしょう。
その変化をどう受け止めるか、自分で決めることを促されているのです。

